けろちか修行中@竹林

白紙の研究者。生きるのだって日々研究。

8月1日 猛暑らしいので語る

目まぐるしく聞き取り調査を進めた7月も過ぎ去り気が付けば8月

外からはセミの鳴き声が聞こえてきます。

 

夏アニメも始まって4話くらい、ここで打ち切られるかどうかが勝負どころの時期なのでしょう。

 

この1か月、何もないようでいろいろあった。というのは毎月の感想。

 

研究は、足で動き回って調査をしているけど、残せる形に出来ていないのがよくないこと。

現状じゃ、ただの脳内妄想もいいところ。

書ける人になりたい。打ち切られないようにね。

 

日本語学校で教壇に立つようになって早二か月、こちらは慣れてきて週1でもお小遣いは作れるし、社会との接点を持てるという意味で有意義である。とにかく、日本語教師の仕事は楽しい。在宅でも出来るように環境を整えたいなーと模索中。まずは、ぴよさんと引っ越してから。

きっと、いつかはホストファミリーになりたいのは野望。

 

ぴよさんはからの婚約指輪が無事に届き、毎週のようにぴよさんの知り合いに会ったりぴよ邸に通ったりしているので幸せは絶頂、いや日々更新中。

ぴよさんと引っ越しの話やらを話すようになって、家事も一緒にするようになって、家計簿もつけたりして・・・主婦業なんて向いてないと思っていたけれど、これはこれで楽しい。結局、私は何をやっていても楽しいのかもしれない。直接的に人に喜んでもらえたり、成長が見えたりするのってやりがいを感じざるを得ない。うーん。研究者に向いてないのか?いやはや。

 

なんにせよ、酸いも甘いも孤独も辛い恋愛やら人間関係も経験してきた20代後半だからとは言いたくないけれど、でも今だからこそ改めてぴよさんが大事だと思える。もちろん、そんなんなくとも大事なのだけど、きっと違いは深みなのかと。

 

そんなわけで、この日常こそが守るべきもの。

まだ、守るべきものが何もなかったころ、それが私の強さだと思っていた。わけだけど

もてあました自由の一方で、孤独で地に足がついていなくて不安で自分のことももうどうだっていいくらいに分からなくなっていた。気が付いたらアフリカにいた。

 

世界中に散っていった同期の活躍をSNSで見るたび、私は何も変えられないことを痛感したし、私の活動が報告されて賛美の声を聞いても、勝手に嫉妬心や皮肉を感じたり、自分の活動はそこまで大したことでないのにと自尊心が欠落していったりした。

 

自分の存在意義を見つけたくて、他者に直接的に関与できる仕事がしたくて日本語教師の資格をとったりもした。

 

時は流れて、私は大学院の博士課程にいた。一度はコンサルへの就職を決意したものの、特別研究員として個人を認められたということが自尊心を高められそうな気がして研究にかけてみようと思った。

 

でも、現実は厳しくてうまく進まない研究計画の中、研修として私は筑波の研究所にいった。そこで味わったのは壮絶な孤独と自分の無力さで、心敗れた私は自尊心をさらに打ち砕いていた。

 

でも、辛くても生きてはいきたかった。だから、人と繋がりたくて、研修後は新しいコミュニティに出かけるようにもなった。

 

そこで、私と仲良くしてくれようとしたのがぴよさんだったのだけれど、最初は馴れ馴れしさが鼻についてちょっと苦手だった。

 

そんなとき、インドに行く機会があった。フィールド調査をして現地で地に足の着いた環境で逞しく家族と共に暮らしていく女性達に心を打たれた。

貧しいからかわいそうなんて思うよりも、居場所があること、支えあう人がいることが羨ましくて、そのときはじめて私も居場所が欲しいんだと思った。

 

私はアフリカでスラムに暮らす人を見ても、インドで物乞いの人を見ても、見てしまったから、世界にはこんな人もいるから私も出来ることを探そうとか、自分が見た景色を人に伝えようとか、慎ましく暮らそうとか、金や物資より心の豊かさを探そうとか、そんなことは思わなかった。むしろ、同情するなんてエゴだと思った。彼らは彼らなりに必死で生きているんだから、それでいいじゃないかと。

結局、私は日本に帰ったら持ち前の環境適応能力を活かしてすぐに日本に馴染んで、暑い夏に冷房の効いた部屋でアイスを食べてはお腹いっぱいになったら残したりしてる日本人だった。

 

ぴよさんと会うようになったのは、ぴよさんが根気強く連絡をとってくれたからで

そうやって、細く長くコミュニケーションをとることでぴよさんは話しやすい人となり、一緒にいて楽しい人になり、ずっと一緒にいたい人になった。

 

今では、ぴよさんがいてくれることで一人じゃないと思えて、孤独で自分を見失うことも無くなった。

だから、これからもぴよさんとずっと過ごして良ければ幸せなんだと思う。守るべき幸せがあるから、自分も未来も見失うことがなく強くいられる。

 

猛暑にやられて今日は詩人のようだ。